2008年04月25日
マルスウイスキー信州蒸溜所。
鹿児島に、明治5(1872)年創業の老舗で、芋焼酎大手の本坊酒造という会社がある。
事業意欲の旺盛な会社で、焼酎工場以外にも、山梨県石和にワイナリー、長野県駒ヶ根にウイスキー蒸溜所を持ち、ウイスキー・ファンにはお馴染みの「マルスウイスキー」というブランドで販売している。

同社のHPには、
「マルスウイスキーは、摂津酒造で竹鶴政孝氏の直属の上司だった岩井喜一郎氏の指導のもとに設計されたポットスティルにより、原酒の製造を始めました。以来、今日まで30有余年」とある。
岩井喜一郎(以下、敬称略)の娘さんの嫁ぎ先が本坊家という縁だそうだ。
昭和24(1949)年7月、ウイスキー製造免許を取得。
ウイスキー専用工場ができるまでは、鹿児島工場で焼酎の製造設備を使ってウイスキーをつくっていたことは容易に想像がつく。
昭和35(1960)年3月、山梨県石和にウイスキー工場を建設。
昭和60(1985)年3月、現在の長野県駒ヶ根に信州蒸溜所を新設している。
HPの文脈から考えて、山梨県にあったウイスキー設備が長野県の信州蒸溜所に移設されたことになる。
信州蒸溜所は、初溜釜1器、再溜釜1器で、キリン(旧メルシャン)軽井沢蒸溜所の半分ほどの規模だが、MALT WHISKY YEARBOOK 2008にも紹介された本格的な蒸溜所だ。
現在、蒸溜は休止中で、早い再開が待ち望まれている。
岩井喜一郎の経歴については、つぎのことぐらいしか分からない。
明治14(1881)年ごろに生まれる。(面識があった鳥井信政治郎より2歳下)
明治36(1903)年、大阪高等工業(現大阪大学)醸造科を卒業(第1期生)。
<以上は、竹鶴政孝が14期生なので逆算。>
大正5(1916)年(竹鶴入社時)、摂津酒造常務。
「製造担当」と書く本と、「経理担当」と書く本があり、兼務または担当替えがあったのだろう。
昭和35(1960)年、岩井の指導のもと、山梨県石和にウイスキー工場建設。
ニッカ余市蒸溜所にあるウイスキー博物館に、通称「竹鶴ノート」と呼ばれる、竹鶴政孝のヘーゼルバーン蒸溜所での実習報告が飾られている。
竹鶴ノートは、つぎのように人の手を渡った。
・スコットランドから帰国した竹鶴政孝が、上司の岩井へ報告書として提出。
・岩井は、竹鶴ノートをもとに本坊酒造のウイスキー工場(山梨県石和)の設計を指導。
・岩井が、親戚に竹鶴ノートを預ける。
・その後、岩井の親戚がニッカに竹鶴ノートの存在を知らせ、返却される。
話はかわるが、雑誌「ウイスキーワールド」で、「竹鶴ノートを読み解く」という連載(15号~)が始まった。
楽しみだ!
事業意欲の旺盛な会社で、焼酎工場以外にも、山梨県石和にワイナリー、長野県駒ヶ根にウイスキー蒸溜所を持ち、ウイスキー・ファンにはお馴染みの「マルスウイスキー」というブランドで販売している。

同社のHPには、
「マルスウイスキーは、摂津酒造で竹鶴政孝氏の直属の上司だった岩井喜一郎氏の指導のもとに設計されたポットスティルにより、原酒の製造を始めました。以来、今日まで30有余年」とある。
岩井喜一郎(以下、敬称略)の娘さんの嫁ぎ先が本坊家という縁だそうだ。
昭和24(1949)年7月、ウイスキー製造免許を取得。
ウイスキー専用工場ができるまでは、鹿児島工場で焼酎の製造設備を使ってウイスキーをつくっていたことは容易に想像がつく。
昭和35(1960)年3月、山梨県石和にウイスキー工場を建設。
昭和60(1985)年3月、現在の長野県駒ヶ根に信州蒸溜所を新設している。
HPの文脈から考えて、山梨県にあったウイスキー設備が長野県の信州蒸溜所に移設されたことになる。
信州蒸溜所は、初溜釜1器、再溜釜1器で、キリン(旧メルシャン)軽井沢蒸溜所の半分ほどの規模だが、MALT WHISKY YEARBOOK 2008にも紹介された本格的な蒸溜所だ。
現在、蒸溜は休止中で、早い再開が待ち望まれている。
岩井喜一郎の経歴については、つぎのことぐらいしか分からない。
明治14(1881)年ごろに生まれる。(面識があった鳥井信政治郎より2歳下)
明治36(1903)年、大阪高等工業(現大阪大学)醸造科を卒業(第1期生)。
<以上は、竹鶴政孝が14期生なので逆算。>
大正5(1916)年(竹鶴入社時)、摂津酒造常務。
「製造担当」と書く本と、「経理担当」と書く本があり、兼務または担当替えがあったのだろう。
昭和35(1960)年、岩井の指導のもと、山梨県石和にウイスキー工場建設。
ニッカ余市蒸溜所にあるウイスキー博物館に、通称「竹鶴ノート」と呼ばれる、竹鶴政孝のヘーゼルバーン蒸溜所での実習報告が飾られている。
竹鶴ノートは、つぎのように人の手を渡った。
・スコットランドから帰国した竹鶴政孝が、上司の岩井へ報告書として提出。
・岩井は、竹鶴ノートをもとに本坊酒造のウイスキー工場(山梨県石和)の設計を指導。
・岩井が、親戚に竹鶴ノートを預ける。
・その後、岩井の親戚がニッカに竹鶴ノートの存在を知らせ、返却される。
話はかわるが、雑誌「ウイスキーワールド」で、「竹鶴ノートを読み解く」という連載(15号~)が始まった。
楽しみだ!
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この記事へのコメント
幾つかの文献では、竹鶴し退社後、岩井氏は摂津酒造の経営権を握ろうと阿部氏と対立した(後に岩井氏も退社したらしい)ので、彼の話は有る程度割り引いて考えるべきと注釈の付いてたのが記憶にあります。
Posted by 赤枝騎士 at 2008年04月25日 13:34
松尾秀助著「琥珀色の夢をみる」(竹鶴政孝とニッカウヰスキー物語)ですね。
この本は、実は「あっと驚く事実」がいろいろと載っていて、興味深いです。
この本は、実は「あっと驚く事実」がいろいろと載っていて、興味深いです。
Posted by 麦溜
at 2008年04月25日 14:39
at 2008年04月25日 14:39ちなみに、鹿児島の工場のポットスチルはステンレス製なのを、ウスケバブロガーさんが本坊酒造に確認しておられますので、焼酎用かそれを改良したもので間違いなさそうです。
で、駒ヶ根工場の蒸溜器は石和からの移動で間違いないです。当時の文献にも、移動させると書いてあります。
で、駒ヶ根工場の蒸溜器は石和からの移動で間違いないです。当時の文献にも、移動させると書いてあります。
Posted by 赤枝騎士 at 2008年04月26日 21:53
赤枝騎士さま。
GW前半に出かけて、返事が遅くなりました。m(_ _)m
本坊酒造の鹿児島工場時代は、ステンレス製ポットスチルなんですね。
沖縄のレキオス酒造では、主力の泡盛と、ラムと、発売が待たれるウイスキーを銅製の円筒型ポットスチルで作り分けていました。
沖縄の高温多湿に考慮して、樽詰めされたウイスキーは、立体倉庫の最上段に保管されていました。
GW前半に出かけて、返事が遅くなりました。m(_ _)m
本坊酒造の鹿児島工場時代は、ステンレス製ポットスチルなんですね。
沖縄のレキオス酒造では、主力の泡盛と、ラムと、発売が待たれるウイスキーを銅製の円筒型ポットスチルで作り分けていました。
沖縄の高温多湿に考慮して、樽詰めされたウイスキーは、立体倉庫の最上段に保管されていました。
Posted by 麦溜
at 2008年04月30日 10:12
at 2008年04月30日 10:12上記の「沖縄のレキオス酒造」は間違いで、正しくは「沖縄のヘリオス酒造」です。
Posted by 麦溜 at 2008年05月12日 15:08



