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<title>麦溜 [Bakrew] の呑み歩る記。</title>
<link>http://maltwhisky.usukeba.com</link>
<description>ウイスキーを中心に、美味い酒と料理の話。ときどき趣味のことなど。</description>
<language>ja</language>
<pubDate>Fri, 22 Feb 2008 14:23:59 +0900</pubDate>
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<title>ヒゲのウヰスキー誕生す （ODB版）。</title>
<description>余市1988 テイスティングイベントでは、ニッカウヰスキーさんから、・シングルモルト余市 500ml・ヒゲのウヰスキー誕生す （新潮文庫版）をお土産に頂戴した。発売前の貴重な「シングルモルト余市1988」を始め、美味しいウイスキーをご馳走になったうえに、お土産までいただきありがとうございました。さて、俗にニッカ本（リタ本は除く）といわれるのは、ご存知のとおり次の４冊。１．ヒゲと勲章～ウイスキー革命は俺がやる （竹鶴政孝著、1966年、ダイヤモンド社）２．ウイスキーと私 （竹鶴政孝著、1972年、ニッカウヰスキー）３．ヒゲのウヰスキー誕生す （川又一英著、1982年、新潮社）４．琥珀色の夢を見る～竹鶴政孝とニッカウヰスキー物語 （松尾秀助著、2004年、PHP研究所）残念ながら４冊とも絶版で、古書店でも最近は入手が難しくなっている。「ウイスキーと私」は、竹鶴翁自らが書かれた日本経済新聞「私の履歴書」を本に纏めたもので、竹鶴翁のそのときどきの気持ちなどが克明にわかるという点で大変に興味深く貴重なものだが、日時などに記憶間違いと思われる若干の箇所が見られるのが残念だ。ちなみに竹鶴翁は「ヒゲと勲章」に、次のようにお書きになっている。（引用）私はいまだにノートも鉛筆もペンも持たない。日記もつけない。重要事項は記憶しておくという主義だ。そして必要のないことはできるだけ忘れてしまうことにしている。これが案外長生きのコツかもしれぬ。したがって、もう4、50年も前の思い出話となると、日時に関してはいささか狂いがあるかもしれない。竹鶴翁に先手を打たれてしまったのでは、苦笑いするしかない。また次のようにも書かれている。だが、ことウイスキーのこと、酒のこととなると、まるで昨日のことのように思い出されるから不思議である。さて今回特別にいただいた本は、「ヒゲのウヰスキー誕生す」を文庫化（1985年）したもの。竹鶴政孝翁が逝去されたのが1979年８月29日なので、「ヒゲのウヰスキー誕生す」は政孝翁の伝記、言い換えると「ニッカウヰスキー社史」として企画された本である。日時、場所などの事実関係が精査されて、竹鶴政孝本としては決定版（最初に読む１冊！）といえる。この「ヒゲのウヰスキー誕生す」が、ネットで簡単に購入できることをご存知の方は、案外少ないようだ。新潮オンデマンドブックス： ヒゲのウヰスキー誕生す。５割ほど割高だが、１冊１冊、注文ごとに印刷、製本するので致し方ないことかな、と思う。</description>
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<category>NIKKA</category>
<pubDate>Wed, 26 Nov 2008 15:00:00 +0900</pubDate>

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<title>余市1988 テイスティングイベント。</title>
<description>11月26日に発売される「シングルモルト余市1988」（3,500本限定）のテイスティングイベントに参加させていただいた。「シングルモルト余市1984」以降、毎年、本数限定で発売されている生産年号の入った「余市20年ヴィンテージ・ウイスキーシリーズ」。「20年の年月を振り返りつつ、ゆったりと楽しむウイスキー」がコンセプトだ。「シングルモルト余市1987」が、WWA2008で栄えある「ワールド・ベスト・シングルモルトウイスキー」を受賞して、シングルモルト世界最高峰の栄誉に輝いたことは記憶に新しい。（「1987」の受賞記念イベントはこちら）このシリーズの源流は、2002年の「成人の日」に発売された「シングルカスク余市20年アニヴァーサリー･セレクション」だそうだ。ちなみに前年には「シングルカスク余市10年」が、ウイスキーマガジンの「BEST OF THE BEST 2001」で世界最高得点を獲得している。（アニヴァーサリー･セレクションのニュースリリースから引用）生産年号の入ったヴィンテージワインは、誕生日や結婚式の贈り物などにつかわれることでよく知られていますが、「シングルカスク余市20年アニヴァーサリー･セレクション」は、貯蔵･熟成に長期間を要するというウイスキーの特徴を生かしたヴィンテージウイスキーで、二十歳を祝うイベントが催されるこの時期に、それぞれの"20年"に特別の思い抱いている方々へお勧めするものです。また、結婚20周年を迎えた夫婦など、年月の重みをこめるのにふさわしい贈り物としてご提案していきたいと考えています。シングルカスクの「アニヴァーサリー･セレクション」（200本限定）から、シングルモルトの「余市1984」（500本限定）に変更された理由は、・ブレンダーの本領は「ヴァッティング（ブレンディング）」という矜持と、・本数の確保のため、だとか。前置きが長くなったが、今回のイベントは、その「余市20年ヴィンテージ・ウイスキーの1988版」を、ブレンダーの方にお話を伺いながら、発売前に試飲させていただけるという、ウイスキー好きには誠に夢のような話である。会場は、東京・南青山にあるニッカウヰスキー本社。二部構成のテイスティングイベントの第一部は、ニッカウヰスキーのチーフブレンダー久光哲司氏によるセミナー。久光氏が「余市1988」に込めたイメージは、「剛のなかに和」。新樽（ライトピート）、新樽（ヘビーピート）、シェリー樽、バーボン樽、リフィルド樽といった、ピートの利かせ方と熟成樽が違う５種類の原酒をヴァッティングして、冷却濾過したのちに、瓶詰め。「シングルモルト余市20年」が貯蔵年数20年以上の原酒を混合するのに対して、「シングルモルト余市1988」は1988年に樽詰めした原酒だけを混合したという。お待ちかねの試飲。右が「シングルモルト余市1988」、左は飲み比べの「シングルモルト余市12年」。「シングルモルト余市1988」のテイスティングノートはこちら。第二部は、ブレンダーズバーに場所を移して、和気藹々とした楽しい懇親会。ブログでは存じあげているウスケバのカナモリ氏にも、初めてお会いできた。とてもお綺麗で、ご聡明な方だ。初めて参加させていただいたが、大変素晴らしいイベントだった。関係者の皆様、心からありがとうございました。（テイスティングイベントの公式ブログです。）</description>
<link>http://maltwhisky.usukeba.com/e27181.html</link>
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<category>NIKKA</category>
<pubDate>Wed, 19 Nov 2008 22:00:00 +0900</pubDate>

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<title>十年目のマイウィスキー贈呈式の招待状。</title>
<description>12月に行われる十年目のマイウィスキー贈呈式の招待状が届いた。いまから楽しみに、心待ちしている。当初、ニッカでは50名程度の出席を予想していたが、参加予定者は180名を超えたとか。事務局は小樽～余市間の列車（1〜2両編成）に全員が乗りきれるか、どうかが心配事だそうだ。</description>
<link>http://maltwhisky.usukeba.com/e26776.html</link>
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<category>NIKKA</category>
<pubDate>Mon, 20 Oct 2008 22:00:00 +0900</pubDate>

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<title>十年目のマイウイスキー贈呈式の案内状。</title>
<description>10年前に、ニッカ余市蒸溜所で行われた１泊２日の「マイウイスキーづくり」に参加したことは、以前に書いた。C. W. ニコル氏が発案されて、その後、バーや酒販店の関係者、メディアなどを対象にした画期的な「体験ツアー」のイベントになり、1998年からは一般のウィスキー好き向けの定番「マイウィスキーづくり」となったと記憶している。先週末、「十年目のマイウイスキー」贈呈式の案内状が届いた。12月第１週の休日に、余市蒸溜所で、1998年４月から11月の半年間に開催された「マイウイスキーづくり」の参加者たちに、自分たちで樽詰めした、それぞれの回毎に樽番号が違う「体験ツアー記念ボトル１本」（余市シングルカスク10年）を贈呈（欠席者には送付）して戴けるそうだ。当日は、ほかの回の人たちが樽詰めした原酒をお互いに試飲し合うことができるということなので、今から楽しみにしている。10年前の「マイウィスキーづくり」の仲間たちと再会できるのも嬉しいことだ！</description>
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<category>NIKKA</category>
<pubDate>Tue, 17 Jun 2008 01:00:00 +0900</pubDate>

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<title>シングルモルト余市1987。</title>
<description>本日発売された「余市1987 ノンチルフィルタード」を味わい楽しむために、南青山にあるブレンダーズ・バーへ出かけた。ご存知のように、WWA 2008のTHE WORLD'S BEST SINGLE MALT WHISKYを受賞した「シングルモルト余市1987」を記念して発売された「ノンチル版」である。生れついてくじ運がない（笑）ので、ネットショップの予約申込みの抽選に外れてしまい、当然ながら近所の酒屋にあるはずもなく、今回は入手できなかった。写真の左が「余市1987」、右が「ノンチル」。どちらも55％である。当たり前だけれど、ノンチルはゴールド色あるいはオレンジ色が、見て分かるくらい濃い。ピート香もフルーツ香も、微妙な程度だが強くて豊かだ。途中から「余市20年」（52％）を追加。下の写真は、５月に行われた「余市1987」２種のテイスティング会のときの久光哲司チーフブレンダー。佐藤茂生マスターブレンダーもご同席されていて、「シングルモルト余市1987」の世界一に、おふたりとも感慨無量のご様子であった。我々、日本のウイスキー好きにも嬉しい受賞だ。４月に行われたWWAの表彰式に出席された久光氏の話では、「ニッカ」が呼ばれた瞬間、一瞬会場には冷たい空気が流れたという。本場スコットランドのウイスキーが、東洋の小島のサムライに負けた！古い例えで恐縮だが、柔道が正式競技として初めて採用された東京オリンピックの最重量級において、外国人が日本代表を下して金メダルを取ったことが、自他共に柔道を「お家芸」と認める日本にとって、計り知れない衝撃をもたらしたのと同じようなショックだったと推察する。西欧と北米と東洋の島国の飲み物であるウイスキーが、ＢＲＩＣｓの台頭に伴って国際化を果たして、「世界の酒」となる道の途中の必然の出来事なのだろうか？竹鶴威相談役は、回想録「ニッカウヰスキーと私 第71話」に、次のようにお書きになっている。（抜粋）私の手元に英紙・サンデータイムズのコピーが届いたのだが、そこには Ochone! Japanese whisky is voted the best in world.と書かれていた。「なんてことだ！ 日本のウイスキーが世界一に選ばれた」というものであるが、あちらにしてみれば相当なショックであるに違いない。昔、スコットランドへ出かけたとき、「日本にウイスキーがあるのか？」と言われたことがあった。言葉の裏には、「日本のウイスキーは本物ではない」という揶揄があったのかもしれない。それが世界一になったのだから驚きを隠すことはできないであろう。もし、政孝親父が存命だったら、このたび何と言ったであろうか。「いいものをつくれ！」が口癖ではあったが、「スコッチウイスキーを超えるものをつくれ」と言うことは一度もなかった。明治の人間である。「三歩下がって師の影を踏まず」の思想があったのではないだろうか。私には、政孝親父がひたすら喜ぶ姿は想像できない。世界一になったからと慢心せず、より品質の良いウイスキーをつくるよう諭されたに違いない。</description>
<link>http://maltwhisky.usukeba.com/e19999.html</link>
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<category>NIKKA</category>
<pubDate>Wed, 11 Jun 2008 00:00:00 +0900</pubDate>

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<title>冷却器＠余市蒸溜所。</title>
<description>お馴染みの余市蒸溜所のポットスチル。蒸溜室と壁を隔てた別室にあるために、あまり見る機会がない余市の冷却器（コンデンサー）。ポットスチルから出たラインアームが壁を貫通して、冷却器につながっている。冷却器の内部 （この日は冷水が張られていなかった）。旧型の「ワームタブ」型で、重い酒質のウイスキーになるとされる。こちらはよく見かける「シェル＆チューブ」型で、酒質が軽くなるという。参考までに、宮城峡蒸溜所の「シェル＆チューブ」型冷却器。下の写真は、山崎蒸溜所の「シェル＆チューブ」型冷却器。山崎には「ワームタブ」型もあるが、写真が見つからない。（整理が悪いなぁ！←恥）</description>
<link>http://maltwhisky.usukeba.com/e20157.html</link>
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<category>NIKKA</category>
<pubDate>Tue, 03 Jun 2008 23:00:00 +0900</pubDate>

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<title>美味しくなぁ〜れ！</title>
<description>ニューポットを新樽に詰めて、貯蔵庫に運び入れる。「マイウィスキーづくり」参加者全員の思いは、ひとつ。10年後、美味しいウィスキーになぁ〜れ！蔵の守り神様、よろしくお願い致します。</description>
<link>http://maltwhisky.usukeba.com/e20408.html</link>
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<category>NIKKA</category>
<pubDate>Mon, 02 Jun 2008 23:00:00 +0900</pubDate>

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<title>シングルカスク余市12年＠マイウイスキーづくり。</title>
<description>余市蒸溜所で行われている「マイウイスキーづくり」のカリキュラムに、今年から「シングルカスク余市12年」５種のテイスティングが追加された。・フルーティ＆リッチ・ピーティ＆ソルティ・シェリー＆スイート・ソフト＆ドライ・ウッディ＆バニリック参加者のアンケートで、余市原酒のテイステイングへの要望が多かったのだという。一方で残念なのは、原酒直売所で限定販売していた「シングルカスク余市12年」が近日中に終売になり、かわりにシングルモルト余市３種（「シェリー＆スイート」「ピーティ＆ソルティ」「ウッディ＆バニリック」）と「カフェグレーン」がラインアップされるそうだ。余市でもカフェグレーンが手に入るようになるのは嬉しいが、カスクウイスキーを試飲し、自分好みの樽番号の１本を購入する楽しみがなくなってしまうのは寂しい。</description>
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<category>NIKKA</category>
<pubDate>Thu, 29 May 2008 23:00:00 +0900</pubDate>

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<title>カフェ式連続蒸溜機。</title>
<description>昭和37（1962）年朝日麦酒社長の山本為三郎（以下、敬称略）は、竹鶴政孝に連続式蒸溜機の導入を提案する。山本さんは非常に丹念に日記を書いておられた。ある意味では（関西）財界の舞台まわしをされていたほどの人である。興味深い内容だと思う。その日記を私はこの目で見たことがある。ある日のこと、仕事の打合せをやろうと、私は呼ばれた。たずねると山本社長は、「カフェ式グレーン・スピリッツに着手する時期ではないか」と話し出した。そして40年前の日記を示すのだった。その日記には、イギリスでのカフェ式グレーン・スピリッツ（蒸溜工場）の作業見聞記、その性能、さらに、スコッチは原酒プラスこのカフェ式グレーン・スピリッツでなければならぬ等々、まるで学生のノートのようにキチンと整理して書かれてあった。さすがの私もこれには驚いた。英国製の日記には、1922年と年号が刻まれていた。日本では大正11年。竹鶴がスコットランドのジェームス・カルダー社ボネーズ工場で、苦心の末に連続式蒸溜機操作法を学びとったのは、その３年前のことだ。さらに、私に対するつぎの一言で、感じ入ってしまった。「カフェ式グレーン・スピリットをやるには、莫大な資本がいる。しかし今日の消費者の舌は進歩してきて、いいものはいいものとして鑑別できるようになった。余市でポットスチルは完成しているが、カフェ式グレーンをまぜないと本格的な香りが出ない。これをやらなければ、スコッチに負けてしまうよ。金は出すから・・・」私は金に縁がうすいので、私は一生涯、私の手では完成できないものとあきらめていた。それだけに山本さんのこの一言はほんとうにありがたい言葉であった。スコットランドでブレアーという会社がカフェ式蒸溜機を造っているはずだ。竹鶴は、昔、留学時代に使っていた古い手帳を取り出した。手帳には蒸溜機製造会社がアルファベット順に書き込まれていた。翌38（1963）年、ブレアー社製カフェ式連続蒸溜機の購入が決った。竹鶴威（現相談役）は書く。カフェ式蒸溜機は政孝親父と私が一緒にスコットランドまで行って、グラスゴーの機械メーカー、ブレアーズ社で購入したものだった。型は伝統的な四角型と丸型があったが、先方は政孝親父の気性を心得ていて「（竹鶴さんは）四角いほうを選ぶでしょう」と言い、こちらも最初からそのつもりだったので、四角いタイプのものを選んで西宮に設置したのである。昭和39（1964）年カフェ式連続蒸溜機、西宮工場に設置。グレーンウイスキーの蒸溜開始。昭和40（1965）年グレーンウイスキーを混合した「新ブラックニッカ」発売。平成11（1999）年カフェ式連続蒸溜機、宮城峡蒸溜所へ移設。　　桃字は、竹鶴政孝著「ヒゲと勲章」より。　　緑字は、「ヒゲのウヰスキー誕生す」より。</description>
<link>http://maltwhisky.usukeba.com/e18854.html</link>
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<category>NIKKA</category>
<pubDate>Mon, 26 May 2008 00:00:00 +0900</pubDate>

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<title>余市蒸溜所（2）。</title>
<description>（左はニッカウヰスキー竹鶴政孝社長、右は彌谷醇平副社長）昭和27（1952）年４月、東京都中央区日本橋に本社移転。８月、「ニッカウヰスキー株式会社」に社名変更。ウイスキーを売る会社が、大日本果汁株式会社でもあるまいということから社名を変えた。創業以来18年。壽屋の鳥井信治郎に対する義理という心理的重圧のくびきからようやく解き放たれたのだろうか。本来の「ウイスキー」という商品の名を社名につけて、すっきりとした。11月、東京都港区麻布（元毛利家下屋敷。現六本木ヒルズ）に、東京工場新設。壽屋が社名を「サントリー」に変更したのは、創業者・鳥井信治郎（1879年 - 1962年。敬称略）が亡くなった翌年の昭和38（1963）年である。昭和29（1954）年７月加賀正太郎、芝川又四郎が、ニッカの株を朝日麦酒（山本為三郎社長。現アサヒビール）に譲渡。大株主はいても、社長の私ひとりで、銀行に行って融資を頼みこむというのが普通だった。そのころが私の生涯で（資金難のため）いちばん苦しかったといえよう。昭和28年のことだ。ちょうどそのころ、株主の加賀さんのガンが悪化し、命旦夕に迫っていた。で、加賀さんもニッカの将来について案じられ、芝川さんと相談して、二人の株を合わせて60％のニッカの株を、山本為三郎さんに渡したのだ。山本さん個人ではなく、朝日麦酒に株を売ったのである。このとき、私は淡々とした気持でそれを聞いた。これで、私も銀行に頭を下げる必要もなくなり、ウイスキーづくり一筋に専念できる。また、山本さんなら私を、昔から理解してくれている人だから、ニッカのために悪いようにはなさらないはず、と私は胸をなでおろしたのだった。竹鶴政孝（1894年 - 1979年）と山本為三郎（1893年 - 1966年）は、摂津酒造時代から40年近い旧知の仲で、竹鶴がスコットランドへ留学したときには、山本は壽屋の鳥井とともに見送っている。山本さんは「過半数の株を持っているが、経営のほうはあなたに任せる。私は相談役になり、何も仕事については干渉せぬから、思うままにやってくれ」といわれた。それから、山本さんの条件がひとつあった。「竹鶴さん、あんたの技術と、ニッカの品質は一流だ。そして経営者としてもあんたは立派な人物だ。だがその信念、理想を実行に移す人がいないのではないか。営業担当重役として、かっこうの人物を紹介するから、営業はその男に任せてみてはどうや」その人物が現ニッカ（昭和41年当時）の彌谷醇平副社長（のちに社長）である。たしかに、朝日麦酒に株をゆずってから、ニッカという会社は、また一段と進歩してきた。これは大きなエポックであった。彌谷はコロンビア大学で経営学を学び、関西のマルキン醤油が関東進出を図った際に、たちまちのうちにマルキンを全国四大銘柄の醤油に育て上げた人物であっだ。当時ニッカの売り上げは北海道＜６＞、内地＜４＞の割合だったが、これが丸びん（通称ニッキー）の発売（＝彌谷の施策）で一挙に逆転、全国商品にのし上がった。ウイスキーの販売金額は、昭和29年を＜100＞とすると、34年は＜534＞になり、ニッカの基礎をかためたのである。平成13（2001）年４月ディアジオやペルノ・リカールを見るまでもなく、さまざまなアルコール飲料を提供できる総合酒類メーカーでなければ、世界的に生き残れない時代を向かえて、アサヒビールとニッカウヰスキーが47年を経て「営業部門」を統合。　　桃字は、竹鶴政孝著「ヒゲと勲章」より。　　黄字は、竹鶴政孝著「ウイスキーと私」より。　　萌字は、「琥珀色の夢を見る（竹鶴政孝とニッカウヰスキー物語）」より。</description>
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<category>NIKKA</category>
<pubDate>Fri, 23 May 2008 00:00:00 +0900</pubDate>

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<title>余市蒸溜所（1）。</title>
<description>昭和９（1934）年３月１日竹鶴政孝（以下、敬称略）は、壽屋（現サントリー）を退社。同年７月１日「大日本果汁株式会社」を設立。社長は置かずに、竹鶴が代表取締役専務（昭和18年に社長）に就任した。独立して自分でウイスキーづくりをすることを決心した私は、まずつくればすぐ売れるジュースを販売しながら、ウイスキーを育てることにし、加賀証券をやっておられた加賀正太郎さんに相談した。加賀さんは山崎の自宅の近所に住んでおられ、妻のリタが奥さんに英語を教えていた関係もあって親しくしていた。次いで、帝塚山で近所におられた芝川又四郎さん、英国時代からの知り合いで食通であった柳沢伯爵の三人の応援を得て、（四人が出資して）とりあえず資本金十万円の会社をつくることに決めた。工場の予定地は、前から目をつけていた北海道余市にためらうことなく決めた。伯爵の柳沢保恵は、貴族院議員、第一生命保険相互会社社長。日本統計学の祖といわれた人物で、資金よりもその名声で有力な支援者となった。芝川又四郎は、摂津酒造時代に、阿部喜兵衛社長が竹鶴のために手配した大阪帝塚山の邸宅の家主という縁で知り合った。加賀正太郎とは、竹鶴が壽屋・山崎工場長時代に自宅が近所で、懇意にしていた。竹鶴に北海道余市の土地を紹介したのは余市で酒造業を営んでいた但馬八十次。但馬の妹が神奈川県知事・池田宏に嫁いでおり、当時神奈川県横浜で壽屋ビール工場にいた竹鶴と面識があった。なぜ会社名に「ウイスキー」の一語を使わなかったのか？加賀正太郎の証言によれば、竹鶴は最初、果汁製造を事業とするとして、資金援助の依頼をしたらしい。「昭和９（1934）年の春、竹鶴氏は突然大阪今橋の加賀商店を来訪された。用件は林檎汁製造の問題であった。アップル・ジュースの製造をやりたいので、芝川・加賀両家の応援を求められたのであった。壽屋社長鳥井氏と別れて、直ちにウヰスキー工場を造って、せりあう意思は全然無いというお話であった」 （加賀正太郎「ニッカ十五年の思い出」より）竹鶴政孝の真面目な性格からして、日本で初めての本格ウイスキーづくりを経験させてくれた鳥井信治郎と事業上で競合することについて道義上許されるか否か、大いに悩んだはずだ。「恩を仇で返す」という日本語がまだ日本で通用した時代だった。昭和10（1935）年５月ニッカ林檎汁（アップルジュース）発売。ウィスキー発売を契機に「ニッカ」ブランドを使い始めたと思いがちだが、第一号の商品からニッカの名を冠していた。アップルジュースは売れなかった。創業２年にして大借金、大苦難の連続で、大阪で開かれた役員会では加賀たちが会社を投げ出さねばならないのでは、と逃げ腰になっていた。それを止めたのは芝川で、「１年、２年で事業を投げ出すものではない。加賀家が協力する限り、私は竹鶴の技術を信じてどこまでも守り立てる覚悟である」と論陣を張った。「この役員会でニッカ更正の方策は決められたが、現実の対策は実に悲惨なものであった。当分役員から工員に至るまで無昇給、経費は極度に節約する事、株主には勿論無配である。竹鶴氏もこれから洋服はおろか、ワイシャツ一枚も買われなかった年が続いたように思う」 （芝川又四郎回顧談「小さな歩み」）返品が続く。「竹鶴さんが、秋になるとどんどん返品があるからそれをどうしようかと言うと、加賀さんは加賀さんらしく、いっそ津軽海峡に捨ててしまったらいいと言い出したが、捨てるなら余市の工場へ送り返してもらって、カルバドス（アップルブランデー）を造り、それを直接販売もするが、日本にたくさんあるインチキウイスキーの原料に、樽売りして損失をカバーすると言いました。そして、ニッカウヰスキーという名前で売っても、ウイスキーの原料が入っていないのに、どうしてつくるのかと言われたら困るから、麦を買ってウイスキーをつくりたいと言い出してきた。そこで私と加賀さんは竹鶴君はとうとう本音を出してきた」 （芝川「小さな歩み」）竹鶴が資本家たちを少しずつ懐柔して本音のウイスキーづくりにこぎつけるまでのやりとりが見えて、面白い。この年の末、蒸溜器一基（初溜、再溜を兼用）を導入。昭和11（1936）年８月大日本果汁北海道工場に、ウィスキー、ブランデー製造免許下付。秋から、蒸溜を始める。昭和15（1910）年10月「ニッカウヰスキー」「ニッカブランデー」発売。　　黄字は、竹鶴政孝著「ウイスキーと私」より。　　萌字は、「琥珀色の夢を見る（竹鶴政孝とニッカウヰスキー物語）」より。</description>
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<category>NIKKA</category>
<pubDate>Tue, 20 May 2008 00:00:00 +0900</pubDate>

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<title>麦溜。</title>
<description>ウイスキーマガジンLive！2008で、モルトウイスキー物語を題材にした新作能「麦溜」の一部が上演されたので、ご覧になった方も多いでしょう。ライブで能をご鑑賞されたニッカウヰスキー相談役・竹鶴威氏が、NIKKA倶楽部メールマガジン「From the Barrel 69号」に初めて語られた、次のようなエピソードをお書きになっている。（抜粋）「麦溜」という題目で思い出したのが、戦時中、政孝親父がウイスキーの呼称を「麦溜」にしたらどうか、とラベルまでつくっていたことだ。当時、敵国の言葉を使ってはいけない、ということで野球の「ストライク」を“よし”、「ボール」を“だめ”と呼んでいたり、米国の地名などを用いた社名は日本語のものに変更させられたりしていた。そのため「ウイスキー」という表記も禁止されるだろうと考えて「麦溜」にしたようである。そうこうしているうちに終戦を迎えたため、わざわざ用意したラベルを使うことはなかった。先日、竹鶴相談役に話をお伺いする機会があり、「政孝親父は、「麦」の方はすぐに決めたが、下にくる字は２、３の案（餾など）があって、迷った末に、「サンズイは酒に繋がる」として「麦溜」にした」と、お話されていた。その会には、ライブ関係者もいらしていて、「能作家の方は、竹鶴政孝氏の「麦溜」のエピソードはご存じない」とのこと。ウイスキー製造と能という、まったく違う世界に住む人たちが、60余の年を隔てて、ウイスキーに「麦溜」と当てたことに、偶然以上の縁（えにし）を感じる話だ。 私は能を一度も観たことがなく、新作能というものがあることも知らなかったが、モルトウイスキーを題材にした演目ということで、一度、「麦溜」を全編とおしで観てみたいと思っている。大変僭越ですが、ニックネームはこの「麦溜」から拝借させていただきました。</description>
<link>http://maltwhisky.usukeba.com/e16526.html</link>
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<category>NIKKA</category>
<pubDate>Mon, 10 Mar 2008 20:00:00 +0900</pubDate>

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<title>待ち遠しい、シングルカスク10年。</title>
<description>初めまして。麦溜（Bakrew）と申します。肩に力を入れずに、ぼちぼち書いていきますので、よろしかったらお付き合いください。今年一番の楽しみは、ニッカウヰスキー余市蒸留所のマイウイスキーづくりで樽詰めした酒が、ついに10年目を迎えて、年末に壜詰めされ手元に届けられることだ。当時、ウイスキー・ファンの間でも、マイウイスキーづくりのイベントはほとんど知られていなかった。新聞に載った数行の小さい記事で知った私は、酒飲み仲間５人を誘って（申し込んだだけで６名全員が参加できたなんて、いまでは考えられない！）、２日間、余市で懇切丁寧にウイスキーづくりのイロハを教えていただいた。実習で一番驚いたことは、樽の内面処理（チャーリング）だった。表面を焦がす程度だろうという生易しい想像を遥かに超えた、ぼうぼうと樽を燃やす炎の激しさと、２、３ミリの厚さで炭化して内面が真っ黒になった樽を目の前にして、ウイスキーは工業製品ではない、自然が育てるものなのだ、と実感した。それまで私のなかで、ウイスキーはいろいろある酒のひとつという位置づけだったが、この瞬間からウイスキーと正面から向き合うことを決意した。ウイスキーの面白さを知ってしまったのである。酔うためにウイスキーを水割りやロックで呑んでいた私は、それからはニートで嗜み、いろいろなウイスキーを飲み比べ、個性の違いを味わい楽しむように努めてきた。いま私はニッカさんに、是非、希望者には余市蒸留所でウイスキーを受取らせてくださいと、お願いしている。余市の自然に感謝して、合わせてニッカ社員の方々、とくに10年間、ウイスキー樽を愛しんで管理していただいた余市蒸留所の皆さまにお礼を申し述べたい、という思いからだ。樽詰め前の味見で初めて飲んだあのニューメイクが、10年の時を経て、どんなウイスキーになっているのだろうか。マイウイスキーづくり参加者20名限定の「余市シングルカスク10年」の封をきる瞬間を、いまから楽しみに心待ちしている。</description>
<link>http://maltwhisky.usukeba.com/e16209.html</link>
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<category>NIKKA</category>
<pubDate>Mon, 03 Mar 2008 20:00:00 +0900</pubDate>

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